福山雅治、監督作ライブ映画の完成披露で“長崎のドラマ”を語る ファンの寝落ち発言にもユーモア

福山雅治、監督作ライブ映画の完成披露で“長崎のドラマ”を語る ファンの寝落ち発言にもユーモア

2026年1月30日の報道では、歌手で俳優の福山雅治が、来月公開予定のライブ映画「月光 ずっとこの光につながっていたんだ」の完成披露上映会に登壇したことが伝えられた。記事によると本作は福山にとって監督としての2作目であり、故郷・長崎で行われたスタジアム公演の映像を基に制作されたという。本人は「長崎にたくさんの人が集まったドラマを映画にしたい」という思いを語り、単なるライブ映像の記録ではなく、地域と観客が生み出した“出来事”として再編集した意図が強調されている。

ライブ映画は、音楽の熱量を伝える一方で、映像作品としての物語性が問われるジャンルでもある。福山が「ドラマ」という言葉を使ったのは、演出として観客の視点をデザインし、ステージの外側にある感情や時間をも作品に閉じ込めようとした姿勢の表れといえる。スタジアム公演は規模が大きいからこそ、観客の歓声や空気のうねりが映像の“登場人物”になり得る。福山が地元開催にこだわり、映画化に踏み切った背景には、長崎という土地が持つ記憶や象徴性を、音楽と映像の両方で残したいという動機があるように見える。

また記事では、ファンからの質問に答える中で「公演中や上映中に寝落ちしてしまった」という声が出た際、福山が「高いお金を払って質の高い睡眠を得たと考えればいい」と返した場面が紹介されている。これは笑い話として消費されがちだが、実は“声や音が安心感として機能する”という、アーティストと観客の関係性の一側面を示している。音楽は興奮を生むだけでなく、緊張をほどき、日常の疲れを受け止める器にもなる。寝落ちの告白に対して怒るのではなく、価値の再定義で包み込む返しは、成熟したエンタメのコミュニケーションとも言える。

完成披露の場で語られた「手応え」は、作品そのものへの自信だけでなく、長崎で起きた出来事を“共有可能な物語”へ変換できたという確信にも近い。ライブ映画は、現地に行けなかった人に体験を届けるだけでなく、現地にいた人にとっても記憶を再構成する装置になる。福山の言葉の端々からは、音楽が生む一回性の瞬間を、映画という反復可能な媒体へ移し替えることへの責任感がにじむ。作品公開後、観客がどの場面を「長崎のドラマ」として受け取るのか、そして映画館という新しい“会場”でどんな熱が再生されるのかが注目される。

出典(URL): https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/01/30/kiji/20260130s00041000014000c.html

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發布日期:2026-01-30